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地元ケーブルテレビ局で積んだ経験
—写真を始めたきっかけを教えてください。
高校生の頃、芸人のダウンタウンに憧れてお笑いの道へ進もうと、大阪まで行ってNSC(吉本総合芸能学院)のパンフレットをもらってきたんです。ところが、母親から「頼むから専門学校までは卒業して」と言われて断念。それで選んだのが、大阪にある日本写真映像
専門学校だったんです。梅佳代さんや浅田政志さんが出た学校で自由な校風でした。
お笑いに憧れるほどテレビが好きだったので、映像学科で映像を学びました。そこで1年生のときに「映像の基本は写真だ」ということで、スナップ写真を撮って現像してプリントする、という授業があった。暗室で像が浮かび上がったときにおもしろいと感じて、写真を撮り始めました。
—学校を卒業してからは、どのように過ごしてこられたのでしょう。
東京都内にある大きな広告写真のスタジオに1年弱勤めました。ポートレートもあると聞いて入ったんですが、朝から深夜まで1日中、ブツ撮りばかりする毎日で、睡眠時間は2 ~ 3時間しかなかった。体力がもたないし、これでは気が狂いそうだと思って辞め、山口の実家に帰りました。
親からお金を出してもらって学校へ行ったのに関係ない仕事をするのも、と思っていたところへ、地元のケーブルテレビ局の求人があって1999年に入社しました。仕事は撮影から編集、ニュース記事まですべてをやるんです。いい経験をさせていただいたと思っています。
輝いている人を撮りたい
—2003年に上野彦馬賞の公募で日本写真芸術学会奨励賞を受賞されています。こうした公募展には、かなり応募しておられたのですか?
はい。写真新世紀の応募も5回目です。去年は、人が幸せそうな表情だけの写真でした。
—今回の作品で荒木さんが一番評価をされたのは、人に対して非常に愛情を持って、美しく輝いている顔を撮っているという点でした。
暗いところばかりを撮るより、よいところを撮りたいですから。今回の「女性讃歌」も、60歳を過ぎても現役でいる人はかっこいいと思って働いている女性を撮り始めました。最初は、良く出入りするホテルのラウンジで働く60代の女性に「写真を撮らせてもらえませんか」と頼みました。
—ご本人は、作品をご覧になっているのですか?
はい。デジタルなので撮影したカットを見せてコミュニケーションを図ります。ラウンジで撮らせてもらったんですが、「タバコを吸ってみたらいいんじゃないかな」とか、塩コショウを入れる程度の演出も入れながら、すんなり撮れました。
—なぜ被写体は30人なのですか?
全紙サイズに引き伸ばすと決めていたので、展示した時にパッと一望できるのは、30枚が限度かなと。それで30人を撮りました。相手が女性なので、口説き落とすような感じで撮っていますね。
—写真を撮りながら、その人が歩んできた人生などを聞いたりするのですか?
聞きますね。例えば60歳ぐらいのトリマーの方は、外国の映画で女性がトリマーをやっている姿を見たことで、その仕事に憧れて上京したとか。当時、女性のトリマーはいなくて男性の方に弟子入りをしたそうです。1日も休みがなく、家でガス爆発が起きた直後も包帯を巻いて行ったとか。美空ひばりさんや大きな建設会社の社長のペットも担当していたそうです。人口4万人しかいない長門の町にもこんな凄い人がいるんだ、と驚きました。
—これからのご予定は?
実は今年3月でケーブルテレビ局を辞めたんです。この作品を撮り出した2月頃から、作家としていけそうだという自信も少しありまして、作品づくりに専念したいと。ケーブルテレビ局を飛び出してしまわないと、そのまま埋もれてしまいそうな気がしたんですね。
—目標にしている作家はいらっしゃるのですか?
欲を言えば荒木さん。一番好きな作家なんで、今回は荒木さんに選んでいただいてうれしかった。20歳の頃、『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社)を見て涙が出てきたんです。それまではエロの写真家というイメージだったんですが、すごく愛情があふれる人なんだと思いました。
—これからの展開について教えてください。
売り込むときはちゃんと売り込んでいこうと。それから忘れられないように作品を作り続けたいです。今は、長門の観光ホテルの従業員の方を撮ったりして地元の新聞で連載しています。それから、0歳から10歳、10歳から20歳と、各世代の女性たちに好きなことをしてもらって撮影する「女性図鑑」というシリーズを撮り始めています。いずれは、世界で展示される作家になりたいと思っています。

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1977年6月3日山口県生まれ
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1999年日本写真映像専門学校研究科卒業
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2003年第4回上野彦馬賞 -九州産業大学フォトコンテスト-
日本写真芸術学会奨励賞受賞
E-mail htc07734@hot-cha.tv
