写真新世紀東京展2011 公開審査会開催報告
公開審査会 2011年11月11日(金)
2011年度(第34回公募)グランプリ選出公開審査会が、11月11日に東京都写真美術館1階ホールにて行われました。優秀賞を受賞しグランプリ候補となったのは、赤鹿 麻耶氏、奥山 由之氏、木藤 公紀氏、パトリック ツァイ氏、山田 真梨子氏の5名。候補者全員のプレゼンテーションと審査員との質疑が行われた後、審査員による合議で赤鹿 麻耶氏がグランプリに決定しました。



第34回公募 審査総評
大森 克己(おおもり・かつみ)
気になったのは、写真の数が多すぎるポートフォリオが多いということ。
ただいたずらに分厚くて一枚一枚には力がない、というパターンがよく見受けられます。
それから、単純にいろんなものを見たい。それはモチーフにも、方法論にも、コンセプトにも言えます。「こんなの見たことないな」って感じる作品が減っています。全体に愛情がたりない。写真に対する愛情が
もっとあってもいいと思う。
それには他人の作品をもっと見るとか、歴史を知るということも含まれるし、技術的な可能性を追求するということでもある。全体的に、軽くなっている気がします。“薄い”と言ってもいいかもしれません。作品に残っていくものって、めちゃめちゃ楽しいとか気持ちいいとか、すごく辛い目にあったことなど、そういう体験の中から生まれるものだと思うんです。写っているもの自体が見慣れたものであったとしても。その感じがないな、と思いました。
でも、過渡期なのかもしれません。戦争が起こっていたり、大地震があって放射能が漏れている場所もある。そういう中で鈍感ではいられないはず。そういうことがそのままモチーフになるということではなくて、そのなかで写真の役割、何が出来るか考えながら、写真を拡張していって欲しいと思います。
佐内 正史(さない・まさふみ)
ブックの人はさ、束ださなきゃなんないし、束出す為に点数増やさなきゃなんないじゃん。俺も最近は、昔からかな、10枚で終わっちゃうんだけど、でもそれじゃあなって増やしてく。本当は10枚で終わってもいいんだけど、人とのつきあいもふえてっちゃったんで。写真新世紀だす人はつきあいはまだ考えなくていい。サービスは写真で稼ぐようになってからでいい。 あと写真で自分の気持ちとか考えを言いたい人が多い。それは写真とは違う。並びでもそうなっちゃってる。
椹木 野衣(さわらぎ・のい)
傾向としては、昨年に引き続き、“さりげない日常の中に神秘的な瞬間が宿っている”というような着想で撮られているものが多いと感じました。それは変哲もない風景や、愛しい恋人の姿や、季節が移り変わる瞬間などで、そこには写真でしかとらえられない煌きがあるというような作品ですね。
でも僕は、それはある意味当たり前だと思うのです。写真に撮らなくても、どんなものでも良くも悪くもすべて、何かしらの存在感というのはあるわけで、そのくらいのことならわざわざ選ぶまでもないな、と思ってしまいます。
ですから、そこから出発しつつも、そういう次元を突き抜けたものにアンテナを向けるようにしています。
煌きの先にあるもの、それは、そこになにかが「在る」ということでもいいし、失われた「時」としかいいようのないものでもいいし、撮った本人さえ、まだ気づいていない「無意識」のようなものでもいいのです。とにかく、日常から突き抜けたところで世界が創られているということが写真から滲み出てくるようなものには、つい、こちらもアンテナがピッと反応してしまう、そういう選び方をしています。
僕は写真家でも写真評評論家でもないので、基本的に写真としてどうかという見方はしていません。
写真ではあっても、写真であることから少しでも先へと手を伸ばしていくような感触があるかどうか。写真だけど写真であることを忘れさせてしまうようなものになっているか、ということです。そういう意味では、昨年よりも今回のほうが面白かったですね。
清水 穣(しみず・みのる)
恋人が死んだ、お父さんが死んだといって撮った写真が目に付きますが、なんとも画一的です。死というそれぞれに重い事実を、「葬式の写真」とか、ふと目にとまった「祖母の遺品」といった、手垢にまみれたアングルと光で撮っていいのか。スタイルを使うだけでは駄目なんですよ。恋愛の写真でも同じ。自分の写真をしっかり見ているのかなと思います。笑いを誘う写真も多かったけど、それもワンパターン。つまり笑っても泣いても感性が画一化しているわけで、そこが怖いと思いました。良かったのは、「写真を見る」という経験自体を問う作品が目立ったこと。確たるものが存在していて、それを「あるがまま」に撮ったのが写真だという前提は崩れて久しい。写真は自明ではないんです。だから、アナログだろうとデジタルだろうと写真の魅力はストレートだと思う。絵じゃないから。そのストレート性が画一化して、撮る力が衰えていることに危機感をもちました。
HIROMIX
他のコンテストと比べてみても、「写真新世紀」は応募者のクオリティが高いと思います。しかし期待していたよりも、ストレートに写真と向き合っているものが少ないと感じました。デジタル処理を多用したり、加工で高級感を出したり。もちろんそれでもいいんですが、一番大切なのは写真。今回は感情が出ている写真が少なかった。見る人が感動したり、心が動く写真
というのは、撮る人の感情が出ているものだと思います。
それから人を撮っている写真が少なかったですね。ちゃんと人を美しく撮れる人はいつの時代も求められているし、需要があります。それから暗い作品の多さも気になりました。飛び抜けて美しかったり、キレイだったり、元気なものに人は引きつけられる。歌でもそうですけど、嘆くのは簡単で、本当に大変な思いをしている人は、逆に明るい曲で人を励まそうとします。
見る人への気遣いも大切で、生きていることへの謙虚さとか、人間性が写真に出る。人が自分の写真を見てどう思うかを客観的に見てみることや、流行を追うのではなく自分なりの提案をすることも良いと思います。迷ったらセンスが良い人からアドバイスを求めてみましょう。

