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写真で何ができるだろう?写真でしかできないことは何だろう?What can we do through photography? What is possible only through photography?

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写真新世紀東京展2007 公開審査会開催報告

グランプリ選出公開審査会 2007年11月9日(金)

2007年度(第30回公募)のグランプリ選出公開審査会が11月9日に東京都写真美術館1階ホールで開催されました。 厳正なる審査会議の結果、本年度はグランプリの該当者はなしとなり、黒澤 めぐみ氏、詫間 のりこ氏、中島大輔氏の3名に準グランプリが授与されました。グランプリ決定会議でグランプリ該当者なしという苦渋の選択がなされたのは、どの候補者も魅力的な個性は備えてはいるものの、写真表現の新たな可能性を追求する写真新世紀のグランプリとするには決め手に欠けるということ、またそこで該当者なしとすることが、写真新世紀のみならず、写真表現の未来をより力強く切り開いていくための最良の決断であると、審査員全員の意見として確認されたからです。

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公開審査会&グランプリセレモニーレポートはこちら

公募の審査にあたって

第30回 審査総評

荒木 経惟(あらき・のぶよし)

人や場所や状況に素直に向き合って、何も考えずにぱっとシャッターを押 す。写真っていうのは、本当はそれが一番良いんですよ。そうすれば、被写体の方のパワーが迫ってくるようになって、それが写真というジャンルの強 みになる。でも、最近の応募作は、コンセプチュアルに頭で考えたり、カメラの機能を色々使ったりするものが多過ぎるのかもしれない。
被写体が良くないと良い写真にはならないという、単純なことにもう一度 立ち返ってみたら良いんですよ。撮る側はもっと「無」になって、モノなりコトなり人なりに出会うことが大事。今回、荒木賞に選んだのは、その辺りのことを感じさせる作品ですよ。
今回、応募作に変化があったかどうかと言えば、そういうものは特にないでしょう。ただ、写真が上手というのは、もう本当に当たり前のことになっているのは確か。だから、そんなところで勝負したって意味はない。それに、作り込んだ写真で、無理やりドラマを演出しようとしたって、弱いものしか できなくなります。やっぱり、それぞれ本当の人生の大事件を写さないと。濡れたり汗をかいたり、呼吸が荒くなっているのが分かる写真は、やっぱり伝わってくるものがある。被写体に対して、自分の気持ちに対して、素直でストレートなのがやっぱり良いんですよ。

飯沢 耕太郎(いいざわ・こうたろう)

例年に比べて少々大人しいかもしれませんが、質的なレベルは決して低くはなかったというのが全体の印象です。ただ、大きな流れの変化を感じ取れるといったことも、特にはなかった。日々の暮らしの断片を撮るといった作品は、相変わらず多いですね。それだけでは「ああ、またか」と思われて損をしてしまうかもしれないけれど、そういう写真でも今回は、カレンダー形式にしたり密着焼きを並べたりするような工夫をしている人がいて、見せ方によってはまだ色々な可能性があるなとも感じさせてくれました。
写真新世紀も回数を重ねてきて、いい意味で成熟してきているので、もう撮りっぱなしの作品ではだめという段階に入ってきたということなのでしょう。
それから、応募の形式や枚数の制限がないのがこのコンテストの特徴ですが、そこに甘えるとあまり良い結果になりません。自分の中で量の限定をするなど、少ない点数で強い写真だけを並べてメッセージを明確に伝える訓練 も課したほうが良い。そう思わせる作品が多くありました。
現代美術寄りの作品も増えていますね。とても細やかなテクニックを持つものが多くて、質が高いです。表面上の処理を美しくして完成度を上げていくのは、日本の写真家の得意分野のようです。そこで更に、自己主張を盛り込む方法まで確立できたら、更なるレベルアップにつながるだろうと思います。

南條 史生(なんじょう・ふみお)

最近の応募作の流れとしては、随分バリエーションが増えてきましたね。
裏街を撮ったドキュメンタリー作品のようなものだけではなくて、作られた情景を撮影する「コンストラクテッド・フォト」が多くなりました。しかも、その手法は随分洗練されていて、単なる作りものには終わっていない。ド キュメンタリーに見えてやらせだったり、その逆だったり、境界を敢えて曖昧にしたような作風のものが見られます。
どうやら、写真はドキュメンタリーでなければいけないという考え方が薄れてきているようです。撮り手が描くストーリーと、被写体そのものの姿、 その中間地点を行ったり来たりするような写真が出てきています。虚実皮膜のうちを、上手に漂っている感じです。
それと関係するのでしょうが、一つの作品の中に、たくさんの視点を取り入れている作者も多く見かけました。「こういう見方をしてくれ」と強烈に主 張してくる作品も良いのですが、重層的な意味を持たせて、色々な見方ができる作品というのも、豊かさの一つの形だと思います。
アルバムの形で提出された作品は、特に質の高いものが多くなっていますね。若い人の作品でも、良く考えられてこなれているものがたくさんありま した。こういうものが増えてくると、選ぶ側としてはどんどん難しくなっていきますが、見る喜びもあって嬉しいものです。

森山 大道(もりやま・だいどう)

中には数点、突出した作品もあったような気がしますが、全体として見ると、なんだか10人位の人がこの膨大な応募作の全てを撮ったんじゃないかという思いがしてきます。どれも似通っているなと感じてしまうんです。
写真はもともと、物事を等質に写す装置だから、類似性が出てくるのはある程度仕方のないところ。どの作品にも今の時代の感性が表れてくるわけですし、似ていることが一概に悪いとは言えない。それでも、タイルが並んでいるようで、石ころがゴロゴロ転がっている印象はありません。撮影やまとめ方はうまいし、編集能力も高いけれど、そのうまさを超えて突き破ってくる何かがある作品は少ないんです。
もっと実験や冒険をしたり、無茶をしても良いんじゃないですか。ああしたい、こうしたいという、個人の欲望に根ざすものが、もっと感じ取れる方 がいい。うまく見せようとか、格好良く撮ろうというのは、本当は二の次のことだと思います。欲望をさらしていくというのは、確かにけっこう難しいことではあります。でも、それをやらないと、このたくさんの作品の中から抜け出ていくものにはなっていかないでしょう。

榎本 了壱(えのもと・りょういち)

かつて「日本グラフィック展」や「アーバナート展」などに携わり、他の表現ジャンルと併せて写真を見る機会も多かったので、写真の持つ力の面白さはずっと感じていました。
今回たくさんの作品に触れて感じたのは、生活感に満ち溢れているものと、静かな風景を切り取ったもの、両極の作品があるのだということ。自分としては、その両極のうち、人がいない場面を切り取った作品の方ばかりを選ぶ結果になりました。空虚で生活感が希薄な、造形的な空間を凝視した写真の方が、時代の意味をより汲み取っている感じがしたからです。
デジタルを介した作品があまり残らなかったのは、少し意外でしたね。やはり写真には、リアリズムが極めて重要なのだろうと感じました。デジタル技術であまり作り込み過ぎてしまうと、リアルな部分が薄れていって、写真 として残すべきものがなくなってしまうのかもしれません。
ただ、そこにもっと挑戦してみてもいい。写真を使って表現する人には、「フォトグラファー」と「フォトアーティスト」がいると思います。「フォトアーティスト」を志向する人が、リアリズムと離れてどんなものを作れるか見てみたいです。今回はそこまでの作品に出会えなかったのが残念なところでした。

具 本昌(クー・ボンチャン)

今までに写真の審査をしたことはありましたが、これほどたくさんの応募作が集まる大規模な審査をするというのは初めての経験でした。応募作の形式が自由であるというのは、選ぶ側にとってはなかなか難しい面がありますね。バラエティに富んだ作品が見られるのは良いのですが、ポートフォリオもあれば一枚の大きなプリントもあるので、それぞれを比較するのは大変でした。
そのせいもあるのでしょうか、全体を見終わったとき、とても多様なスタイルの作品に接したという印象が残りました。特に、ブックの形にしてある ものの中に完成度の高い作品が多かったように思います。
日本には既にたくさんの著名な写真家がいて、そうした先輩作家が言わば写真の「日本スタイル」とでも言うべきものを確立しています。今回の応募作を見て、やはりそうした日本スタイルが維持、継承されているものだと感じました。こうやって伝統が作られていくのだろうということが確認できた 気がします。
このような大規模な公募の場があるというのは、韓国の写真界から見るとある意味でうらやましいものです。韓国でも、写真を志す若い人はたくさん いますが、日本には写真を愛好する人の裾野の広がりがあることを強く感じました。

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