第6回 写真新世紀展1997 公開審査会開催報告
公開審査会 1997年12月5日(金)
東京・四ツ谷、東長寺講堂・P3、「第6回写真新世紀展」会場にて、初日5日には、審査員 荒木経惟氏、森山大道氏、飯沢耕太郎氏、南條史生氏による公開審査会が行われ、第15回、第16回公募優秀賞受賞者7名の中から97年度のグランプリが選考されました。公開審査会に望む優秀賞受賞者たちは、真剣な面持ちでした。一人2~3分でプレゼンテーションが行われ、審査員との質疑応答が繰り広げられました後、グランプリには矢島慎一さんが選ばれ、今回は特別に、伊藤トオルさん、山本香さんに特別賞が贈られました。また、佳作から奨励賞として、柏亜矢子さん、白井里美さん、 近藤慶さんが選ばれました。会場がグランプリ審査に向け一つとなり、緊張感が漂う有意義な時間が流れました。

公募の審査にあたって
第6回 写真新世紀展1997 公開審査会は第15回・第16回公募作品を対象としています。
第15回 審査総評
荒木 経惟 Nobuyoshi Araki
女が、がんばってる。コンセプトを決めて、その中で演じたり、演じさせたり。日常の中で非日常を作るってことを面白がっている。だから、あえて作る。カメラを媒体にしての感性がある。撮ることによって自分の気づかないことが出てくる写真の魅力って言うのを感じとっているよ、彼女たちは。文書書くより、写真撮った方が「私」の気持ちとか、「生理」とか、今の自分がパッと出せるんだろう。写真機の魅力も知っている。面白いのは、目に見える位置のものしか信用してないように感じることだ。空想とか、幻想とか。何とかではなくて、すぐカメラ。彼女たちが撮ったカラーの中にやるせなさって言うか、何か説明できない寂しさっていうか、何かが出てる。世紀末ではない時代の喪失感というか、そういう感じのあるエロティックさがある。写真は、エロティックでなくちゃいけない。時代と自分の気持ちが出てる。何か演じなくちゃ、演じさせなくちゃって感じがある。そこがいいね。
飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa
写真という表現手段の技術的な側面にもう少し気を配って欲しい。特に今回はカラーコピーで安直に仕上げてしまう傾向が目についた。プリントの技術、複数の写真の構成の仕方、アルバムの編集等、もっと注意深く、丁寧に作っていく必要があるだろう。全体的な傾向として「私」と「日常」が表面的に出ている点に変わりはないが、少しずつきっちりとしたコンセプトを展開していこうとする動きもでてきた。次のスタイルが見えてくるまでもう一歩というところか。
南條 史生 Fumio Nanjo
作品が全体的に暗い。動物の死体を写している作品が少なくとも5人以上の応募作にあったと思う。またトーンもモノクロームであり、夜のほの暗い光が、ほとんどだ。たまに外の情景で、太陽が輝いている作品があるとホッと救われたような気がする。だから、暗い作品は良くない、明るい作品が良いというわけではないが、その全体の傾向の中に時代が現れているような気がする。また女の子が自分や友人の裸や情交を描いている作品も、少なくなかった。それにコピーを使った作品も。コピーを使うと、色のつややかさがなくなって、全体にノスタルジックな調子に変わる。それもまた暗さと過去へ向かう意識を感じさせる。そろそろ21世紀に向かってポジティブな感覚を表しても良い時期ではないだろうか。トンネルの出口は近い筈だ。それとも日本はずっとこのままなのか。
リー・カシン Lee Ka-Shing
若い応募者の個人生活のドキュメンテーション、プライベート生活が大変興味深かった。実際、2~3年前に、自分の生活を撮っている日本の作家で、大変興味深い作品があった。でも、数年前に見たその日本の作品は、一人の作家のものだった。その作品を見たとき、大変新鮮な視点だと思ったが、実際審査会では洪水状態だった。まさに、皆がそれをやっていて・・・。
私にとって写真は、創造活動であり、ただ撮るという行為とは全然関係ない。数年前に見た作品は、プライベートライフの中に、その後ろ側にある作者の心理の過程などが見えてきた。作品が、作品として結晶するときには、その裏側にある心理の過程、制作に至るまでの試作、試行錯誤などが見える、そういうものが良い作品だと判断している。だから、それが見えないと「一体何なんだ?」ということになる。しかし、残念ながらそういう単なるヴァケーションみたいな作品が多かった。それが、事実であった。また、テクニック、基礎的技術というものは当然必要であると考える。技術と考えてきた思考過程が、しっかり結合して生み出された作品というのは何かがある。そうじゃないものは、単なる複写に過ぎないというのが率直な意見だ。
第16回 審査総評
荒木 経惟 Nobuyoshi Araki
突出した作品がない印象を受ける。でも、一点一点見ていると個性的な作品もあるし、何かが出ている様に感じる作品はある。
悪い意味ではなく「自分に入り込んでいる」という感じはすごくいい。また逆に自分を追い出している、排除している様な作品もある。他人を撮って何かを表現したいというより、自分のことをいったときの方が嬉しさっていう意味ではないけれども、やりがいがあるし、素敵なことであると確信しているのではないか?諸々の対象にぶつかって、自分を他人にしていくというのは、いいと思う。こういうことはむずかしいけれど、今一番写真からかけていることと思う。
飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa
応募数は増えているのだが、何かもう一つインパクトの強い作品が少ない。佳作の候補はすぐ見つかるのだが、飛びぬけたパワーを感じさせるものが無いのだ。若い女の子達が「自分」を撮る時の姿勢、まとめ方が単一化しているのが気になる。写真化された「自分」は、自分そのものではなく映像として再編集されていることを、もっと冷静に認識すべきだろう。全体にその編集の過程をいい加減にしている作品が目立つ。特にアルバムの形式をとる場合、最後まで見るものの緊張感を保って引っ張っていくには、相当の力業が必要になる。途中で投げ出さないで、ピリッとしまった構成で見せてほしい。
南條 史生 Fumio Nanjo
前回に比して、ずいぶん全体に明るくなった。未来が見えるとはいえないが、少なくとも“ポジティブ”な印象が出てきている。白黒はコントラストの強いものが目立つ。カラーではノスタルジックな風合いのものが多い。私的なモチーフは相変わらずだが、やみくもに裸になる傾向は少なくなり、ストーリーを描いたりして表現には巾が出てきている。若々しさも貴重だが、成熟も貴重だ。
森山 大道 Daido Moriyama
写真新世紀が何年もやってきた良い面と悪い面が見える。良い面は、何をやってもいいということ、写真はこう遊べるとか、リアリティがあるという面を見せてくれたこと。もう一つは逆にそれの相対的な弊害ですね。それが、ワンパターンになって出てきた。それは、例えば、カラーコピーで見せれば面白くなる、ボケればおもしろくなるという、そういうイメージというか感性の画一化みたいなものがどうしようもなく見えてくる。そのつまらなさがある。やっぱりもっと狂うというか、男だったらやくざっぽくなって欲しい。女の子ももっと悪になってほしい。よくいえばかわいいけれども、おとなしくてちょっと物足りない。それが全体にある。
