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写真で何ができるだろう?写真でしかできないことは何だろう?What can we do through photography? What is possible only through photography?

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第3回 写真新世紀展1994 公開審査会開催報告

公開審査会 1994年12月3日(土)

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東京・四ツ谷、東長寺講堂・P3、「第3回写真新世紀展」会場にて、1994年度の年間グランプリを決定する公開審査会が行われました。第9回、第10回公募優秀賞受賞者7名がプレゼンテーションを行った後、審査員の先生より「今までは“死”にとらわれていた作品が多かったけれど、今年はやっと元気に“生”に向かう作品が出てきた。94年の記録に残る猛暑と同じくらい熱い作品!」ということにより、熊谷聖司氏がグランプリに選ばれました。

公募の審査にあたって

第3回 写真新世紀展1994 公開審査会は第9回・第10回公募作品を対象としています。

第9回 審査総評

荒木 経惟 飯沢 耕太郎 南條 史生 ロバート・フランク

飯沢:

今回は今までで一番作品点数多かったんじゃない?


荒木:

そうそう、フランクさんなんて、審査会場に入った瞬間後ずさりしてたもん(笑)。もうこれだけ多いと見る方は参っちゃうね。つまんないもんは送ってくるなよなー。


飯沢:

でも、作風の違うものを一緒に出したり、とにかく数で勝負という感じで、似たような作品をいっぱい送ってきたりするのは損だよね。自分でどういう風に見せたら一番効果的なのか考えてほしいよ。


南條:

写真は誰でも作れるメディアだけに、相当言いたいことがはっきりないといけない。漠然と撮ってるものが多すぎる。


飯沢:

こうしてみると、写真で語ることができることは、共有されています。日常のスナップの断片を集めていくと何か語ってくれるんじゃないかって、とりあえず撮っているだけで、その先が見えてない人が多い。もう少し、自分の語り口、説得力がないと弱い。


フランク:

写真という表現が現在立たされている危機的状況を実感しました。日本に限らず、写真は今、新しい世界へのドアを開けようとしている。でも、それは、想像以上に作家たちにとって難しいことです。いろんな人の影響から脱却して、自分らしい道を見つけようとしているけれど、アートと写真のはざまで何をすればいいのか、誰もが途方に暮れながら模索している。身をもってそのつらさを感じたね。


南條:

そう、そこを励ますきっかけを作るために写真新世紀をはじめたんだよね。


フランク:

それからヌードが多い。なぜだろう?10年前のアメリカでも似たような状況があった気がするけれど。それから、写真というより、しかけやテクニックに走り過ぎたオブジェのようなものが目についた。写真を破片のように扱ってしまうと、最終的にはただの飾り物になってしまう。私は、基本的には何でも極端なものが好きだけれど、これらに関しては、極端ということの意味が取り違えられているような気がした。でも、いずれにせよ批評するのは容易いことだ。作るのは本当に大変なことだからね。


南條:

自分が何を言いたいかよく見つめて、それに展示の方法を肉付けするという順番でやるべきだと思う。


フランク:

まず、目を閉じて、自分の心の声に耳を傾ける。そして、直感と欲望に導かれて写真を撮る。それを、自分自身で批判しながらいくつかの方法論で編集していく。そうした編集作業は、その人にとって最良の教師となるはずだ、私は無理にコンセプトに合わせて写真を撮ることには反対だ。頭が良くて知識があれば、お金が儲かる写真はいくらでも撮れる。でも、私はそんな写真は撮ってほしくない。まず、とにかく撮って撮って撮りつづける。そうして、次の編集作業の中でコンセプトが浮かび上がってくる。私の「THE AMERICANS」もそうやって作ったんだ。


南條:

器用で技術もある人たちは、それに頼りすぎちゃって、写真はただ形式的に使われているようにしか見えないんだよ。まず、中身で勝負してほしいね。


荒木:

写真は直感のこと。俺はもう、写真を使って何とかするっていうのは、終わると思うね。いや、もう終ってるかな。


飯沢:

逆にアーティストは、写真の持ってる日常生活をまるごと表現できるパワーって言うものに着目している。写真家の側がそれに気がつかなくなっているんじゃないかな。写真家の方がアートらしさを取り入れようとして迷っている。


荒木:

恋愛が足りないんだよ。私は、恋愛至上主義だからね(笑)。ムキダシの自分の幸福観を平気で出せる奴じゃないと写真は弱いんだ。


南條:

恋愛だけじゃないと思うけどね(笑)。でも、自分を出すということを勘違いしているものも多いよね。元気一杯、裸になっても、自分がさらけ出されたことにはならない。ただの自己顕示欲で自分が出ても作品にまで昇華できないと思うな。客観的に内面的な自分をムキダシにするのと、単に自分が写っているのとでは全く違うのに。


荒木:

ほら、内面的な自分をムキダシにするには、やっぱり恋愛でしょう。
今回は、フランスからの応募が300点ぐらいあったけど、フランスは粒が揃っていて良かった。大人の写真が多かった。俺が選んだベルグーさん、彼のは、写真旧世紀って感じでいいだろ。写真の本能そのものだよ。すばらしいよ。最後は、顔に行き着くんです。


飯沢:

イメージの出し方を心得ているものが多い。学生レベルを越えて、すべて出来上がっちゃっている人達だ。


フランク:

逆に僕から見ると、フランスの作品は、日本の作品に比べて弱い感じがしたな。最近では、ドイツ人、特に旧東ドイツの作家にパワーを感じるね。


荒木:

今回選んだ3人は、みんな生きてることとか、生の躍動に感心持ってる奴のだね。特に、大森さんは、生きてる証明が写っているからいいんだよ。あんまり、観念的じゃないでしょ。ガンガンガンガン移動して撮っているのがいい。エルスケンのスイートライフみたいだろ。久々の大型新人ですよ。これは。


フランク:

彼の作品は、映画を見てるみたいに音が聞こえてくる。すごく、精神的にも解き放たれて作っているのが伝わってくる。


荒木:

でも、ちょっと、うますぎ、決まりすぎだよ。俺は地元撮ってない奴なんて選ばないもんね。


フランク:

よく日本の若者はニューヨークに行きたがる。それが、東京に来てわかった。驚かされるほどの規則が街中に感じられる。タクシー乗っても、買い物をしても。みんなそれから逃げたいんだね。


荒木:

でも、だらしない奴が多いんですよ。規律とか規則が在るところで、自由がやれなくてどうする、甘えてんだよ。どんな規則があろうが、自分が自由できればいいんだからさ。私はね、父の死と母の死と妻の死で写真家として育ったんですよ。写真とかアートやってる奴でおぼれてる奴はできないんだ。孤独な奴じゃないと。例えば、誰かの死とか、女が泣いている時とか、一番パッショネイトされた時に、カメラを持てるかどうか、シャッターを押せるかどうか、ここなんです。でもそうすると、非人間的だとか、冷たいとか言われちゃって困るよね。そこが、キツイ。それからいかにうまく女に理解させてタラタラ人生を過ごすってことですよ。写真家は(笑)。大変だよ。


フランク:

被写体となる女たちは、荒木からさっさと学んで、さっさと出ていく・・・。


荒木:

だから、未練で一枚写真を撮るんでしょう。自分のものにしておきたいなあという気持ちが写真のことだからね。でも女は去っていくねえ。(笑)。写真は、本質的に未練がましいんだよ。撮っておきたいっていうのは、写真の本能っていうか、生理です。あんまりごちゃごちゃ頭で考えないで、写真の生理から始めりゃいいの。ロバート・フランクさんも、映画ばかりで写真やめたなんて言わないで、どんどん撮りましょうよ!(笑)。


第10回 審査総評

荒木 経惟 Nobuyoshi Araki

パリからの応募者は、写真に関する真摯な気持ちが出ていて質も高いんだけど、職人になっちゃってるね。でも、今はカメラが職人やってくれるから、気持ちを職人にすればいいんだよね。ストイックにやりすぎるといつか行き詰まるよ。収容力がなくちゃ。若いんだからいろいろ挑戦してみてよ。

飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa

点数的にはやや減っているが、むしろ個々の作品のレベルはあがっているのではないか。傾向が見事にバラついているものも逆に面白かった。フランスからの出品は粒ぞろいだが、突出した魅力は感じない。被写体をモノとして見る眼の確かさ、印画紙+画像に対するフェティッシュなこだわりは、日本の写真家にはないものだと思う。佳作に入った人たちは、今回の作品というよりは次を期待したい人が多い。次回もぜひ出品してください。

南條 史生 Fumio Nanjo

全体に新しさを技術的な部分に求めているように感じられる。しかし、新しさはその内容、あるいはメッセージに求めたい。内容が新しければ、それにふさわしい表現技法が自然に生まれてくるのではないか。それを忘れると、どこかで見たことがあるような作品やプレゼンテーションになってしまう。あたり前のことだが、自分が真に何を言いたいのか、自分の内面をまず探ってから出発すると、より力のある作品になっていくと思う。また、入賞者の他に、自分の世界を持っているという点で安彦氏、岩切氏も良かった。今氏は力のある質の高い作品を出したが、もうひとつ内容とプレゼンテーションに独創性が欲しかった。次作に期待したい。

坂田 栄一郎 Eiichiro Sakata

奇をてらったものを作ろうとすると、自然に力が入って、悪い方向に行ってしまう。それは、選ぶ側に気に入ってもらおうとするからだ。力が抜けている写真は魅力があるが、ともすると普通になってしまう恐れがある。だが、素直な目をもって追求していくと、変な目に変わっていき、魅力ある写真が撮れるようになる。基本を忘れないよう、力の抜けた変な写真を撮ってほしい。

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