インタビュー - Interviews -

三原舞依選手
インタビュー

シニアデビューで表彰台の快挙
病を克服し、平昌五輪候補へ

文・野口美恵(スポーツライター)

シニアデビューのGPシリーズ初戦となるアメリカ杯で、いきなり銅メダルを獲得した三原舞依。昨季はシーズン後半を病気で欠場した少女が、シンデレラストーリーを歩んでいる。今季そして五輪にかける思いを聞いた。

アメリカ杯銅メダル ほっぺたをつねって気合いを入れる
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シニアのGPシリーズ初戦のアメリカ杯で表彰台。おめでとうございます。ショートは2位、フリーは3位での銅メダルという快挙でした。

アメリカ杯は、初のシニアのGPシリーズだったので滑る前はかなり緊張していました。でも演技前のアップで転んでしまい、そこで少し緊張が解けたかと思います。シニアの大会は会場も大きいし、観客の方々の声援も大きくて、この舞台で滑れることが嬉しくて、演技前に笑顔になりました。

素晴らしい精神力ですね。

いつもやってるルーティンがあるんです。6分間練習が終わってから、もう一度メイクを直して会場に向かう前に「しっかりやるぞ」と自分に言って、ほっぺたと耳をつねるんです。以前の試合で、中野(園子)先生に「耳をつねったら緊張がほぐれるんじゃない」と言われて、それ以来やってるんです。それで気合いが入りました。

中野コーチの支えも大きいのですね。

はい。それに本番直前も中野先生から「シニアのGPシリーズだからといって、今までと気持ちが変わることなくやりなさい。練習はしてきたんだから」と言われ、背中を押してもらったら、気持ちが楽になりました。

ショート2位発進となって、フリーではプレッシャーを感じたりはしませんでしたか?

気持ちに変化はなかったです。自分の持っている力を出すことが目標なので、順位や点数は考えず、やってきたことを精一杯出し切ろうと思ってフリーも臨みました。もちろん心の底には順位のことがあったかもしれませんが、やはりトップの選手と一緒に滑らせていただく機会をもらったことの方が貴重だと思ったので、順位は考えないようにしました。

今季のフリーは『シンデレラ』ですね。三原選手の飛躍を、そのままプログラムにしたような選曲になりましたね。

はい。これは佐藤有香先生に作っていただいたプログラムで「シンデレラになりきって最後まで演じてね」と言われています。有香さんは、滑るだけで「ああ綺麗だな」と思える素晴らしいスケーティングをされる方なので、振り付けして頂いて光栄でしたし、「やっぱりフィギュアスケートは滑ることが一番の魅力なんだなあ」と実感しました。今季の最後までには、有香さんに教わった滑りを発揮したいです。

フリーでミスがありながらの銅メダルという結果については?

中野先生や日本スケート連盟の方からは「シニア初戦の表彰台はとても良いこと」と言ってもらえたので嬉しいですが、私としてはミスがあったので悔しい気持ちが大きいです。でも今までで一番自信になる、今後の力になる大会になりました。私は幸せ者だなと思いました。

シニアデビューしてみて、周りの選手から感じたことはありますか?

公式練習や6分間練習で、トップの選手の方々と練習できたことが、すごく楽しかったです。やはりトップの方々は、練習から大きく表現をし、雰囲気も醸し出していて、貫禄やオーラがありました。そこがジュニアとの一番の違いでした。自分ももっと表現面を磨いていけたらなと思いました。

優勝したアシュリー・ワグナー選手から「シニアデビューで表彰台、おめでとう」と言われて、ハグされる場面がありましたね。

会見が終わって帰ろうとした時で、トップの選手が私に話しかけてくるなんて思ってもみなかったので、とにかくびっくりしました。私に話しかけてくれるなんて、凄く優しいですよね。やっぱりトップの選手はメンタルが違うな、私ももっとメンタルを鍛えないと、と思いました。

アメリカ杯は貴重な体験がいっぱいでしたね。

はい。ジェイソン・ブラウン選手やアダム・リッポン選手にも声をかけられたんです。夢じゃないかと思って、ホテルの部屋に帰ってから、ほっぺたをつねりました。アメリカ杯は、ほっぺたを何度もつねる大会でした(笑)

浅田真央に憧れてスケートを開始 「私もそうなりたいと思い続けてきた」
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アメリカ杯では、憧れの浅田真央選手と一緒の試合でしたね。

私がスケートを始めたきっかけが、浅田真央さんをテレビで見たことだったんです。だから真央さんと同じ大会に出られたことがとても幸せでした。「スケートを始めたきっかけなんです」という話をしたら、真央さんに「嬉しいです」と言われて、私も嬉しかったです。

浅田選手のいつの演技を見たのでしょう?

2005年のGPファイナルで優勝したときの演技です。真央さんが15歳で、私は6歳の時でした。元気でぴょんぴょんしていて「楽しそうだな」と思って、とにかく演技に魅了されました。

それから11年たち、一緒に試合に出てみて、浅田選手の印象はいかがでしたか?

真央さんは、とにかく見ているだけで時間を忘れてしまいました。表現の仕方が素晴らしくて、今はしっとりとした大人の演技をしていました。手の動かし方、顔の表情のつけ方なども勉強になりました。真央さんの成長をずっと見てきて、いつも自分を重ねて「そうなりたい」と思って過ごしてきたんです。でも今回また、私にはない魅力があって「ああ、私もこうなりたいな」と改めて思いました。レベルが全然違いますが、浅田選手と同じ大会に出られて嬉しかったです。

浅田選手とお話しもされたんですよね?

ショートの後に、マッサージの部屋でお会いして、おしゃべりするタイミングがあったんです。一緒に写真撮影をお願いしました。それがすごく嬉しくて、フリーの演技の前に、スマートフォンの待ち受け画面にしちゃいました。

昨季は関節炎の病で入院、欠場 改めて感じた滑る喜び
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昨シーズンは関節の病気、若年性特発性関節炎で入院、シーズン後半は欠場となりましたね。

全身の関節が痛くなる病気で、2015年12月のジュニアGPファイナルの後、入院しました。

入院中はどんな状況だったのでしょう。

全日本選手権を病室のテレビで見ました。皆さんが素晴らしい演技をしているときに、私は歩くこともできず車いすに乗っている状態だったので、その時期が一番辛かったです。出場できなくて悔しいというよりは、ただただ「皆さん凄いな」という気持ちが大きかったです。

病気の間、心の支えになったことは?

スケートのテレビを見ることで「もう一度戻りたい」という気持ちが強くなりました。特に、憧れの真央さんの演技を見ました。あとはこれまでスケートをしてきた中で、嬉しかったことを思い出しました。昨季はジュニアのGPファイナルに出られたことと、(シニアの)GPファイナルに真央さんが出ていて同じ会場にいることが嬉しかったので、それを思い出すようにしていました。他にも自分の演技のビデオを見て、スケートを始めた時に比べれば、跳べるジャンプも増えて演技も良くなって、少しは成長しているんだ、と思うようにしました。

色々なことを考えながら、気持ちをポジティブに向けようとしたんですね。

はい。精神面で強くなれたとは思います。それに練習を再開してから、以前とは比べものにならないくらい「スケートができて嬉しい」という気持ちが大きいです。毎日、練習の氷に乗る瞬間に「ああ練習できる」と思って嬉しくなります。まだ朝起きた時に「今日は関節が痛いな」という日もありますが、病院ではなく家にいて目覚めていることが幸せで、練習が辛くないんです。

練習再開に向けてはどんな取り組みをしましたか?

病気でまだ氷上練習ができなかった時に、関節に負担がかからないよう膝周りの筋肉を鍛えて、柔軟性を高めるストレッチもしていました。それが効いたのか、今シーズンは、周りの方から「ジャンプの飛距離や高さが出た」と言ってもらえますし、評価的にも加点をもらっています。自分ではまだ実感はないのですが、それはすごく嬉しいことです。

病気でシーズン後半を欠場しましたが、ジュニア続行ではなくシニアへ上がる決断をした理由は?

春になってから、コーチや日本スケート連盟の方々から「シニアで戦えるよう頑張って」と言われたので決めました。スケート日記をつけているのでそれをアメリカ杯の前に見返したときに、昨年12月に入院している時から(秋までに)考えられないほど成長できた自分がいるなと思えました。

「まだまだ未熟だけれど 課題を克服して、平昌五輪へ」
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シニアデビューのシーズンですが、改めてシニアで戦える手応えは?

まだまだ未熟で、アメリカ杯では表彰台には乗れましたが、実力的には足りないと思っています。まずは練習でできていることを本番で出すのが今後の課題。前半が良いと安心しすぎるタイプなので、ちゃんと切り替えて後半まで頑張るような演技をしたいです。

全日本選手権では、上位を期待される立場になったと思います。

まだまだです。私にとっては真央さんが一番の憧れですが、他の選手も素晴らしい選手が沢山いますし、色々な選手のビデオを見て勉強しています。宮原知子さんはジャンプの安定感があって、失敗する気配もなく跳べることが凄いと思います。ジュニアの選手も強いです。全日本選手権では、ジュニアの選手には表現では負けないように、それにジャンプの加点をしっかりもらえるように、と思っています。

平昌五輪への道も見えてきたのではないでしょうか?

2018年の五輪が平昌で開催されると決まった時に、歳を数えて、「これは私が出られる年齢だな」と思いました。平昌五輪はすごく行きたいですし、目指してきた大会ですが、あと2年ありません。今の時点は、まだまだ五輪代表になれるとは思えないほど未熟です。五輪に出たいという夢はしっかりと持って、たくさんの課題を克服していきたいです。

2016年10月、アメリカ杯にて取材

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