インタビュー - Interviews -

カロリーナ・コストナー選手
インタビュー

4度目の五輪出場を目指し、復帰した30歳
「フィギュアスケートへの愛を観客と共有したい」

3年ぶりに世界選手権に出場したイタリアのカロリーナ・コストナー選手。ソチ五輪で悲願の銅メダルを獲得後、ドーピング検査回避の幇助があったとされ出場停止処分を受けていた。競技復帰した2016-2017シーズンを終えたコストナー選手に聞いた。

ゼロからのスタート「長い道のりを一歩ずつ進んできた」
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3年ぶりの世界選手権でした。

とても幸せです。ものすごく幸せな気持ちです。というのも、最初(シーズンが始まる前、4~5月頃)は、世界選手権の舞台にもう一度戻って来られるのかどうか分かりませんでしたから。試合がすべて終わって、ああ、自分はここに戻ってきたんだという思いをかみしめています。本当にたくさんの時間が過ぎて、たくさんのことが起こって……今とても幸せな気持ちです。

フリーの演技を終えた時は、どのような気持ちでしたか。

いろいろな思いがあふれてきて、爆発したみたいでした。興奮や喜びはたくさんありましたが、「みんなが私を見ている」と思うと少し緊張もしました。復帰すると決めたこと、いま自分がやっていることに確信をもっていることが、私にとって大きな力になりました。

競技への復帰を決めたのはなぜですか。

もう一度競技に戻ると決めた時、自分自身に問いかけました。「本当の理由は何?」と。夢見ていたメダルはもう持っているし、何が理由なんだろう、と。問いかけてみて確かになったのは、このフィギュアスケートというスポーツへの愛でした。私はこの競技が大好きで、学んでいくことも、前に進んでいくことも好きなんです。

復帰してから世界選手権までの道のりは、いかがでしたか。

いつも一歩一歩進んできました。もう一度試合に出たいと決めて、まず初めにどのようにやっていくか計画を立てました。どのようにトレーニング内容を組み立てるか、身体をどう作り直すか、自分のテクニックレベルをどうやって戻していくか……いくつもの重要な決断をしなければならなかったし、長い道のりを1つずつ歩んできたんです。それは本当に簡単なことではありませんでした。でも、やらなければいけないたくさんのこと、例えば身体作り、ジャンプ、スケーティングなどが、次第にゆっくりと一つにまとまっていくようになっていったのです。夏頃には、希望の光が見えてきて、ずっとリラックスして練習に取り組めるようになって、細かい部分にまで集中できるようになっていきました。

ロシアの名コーチ、ミーシンのもとでテクニックを強化
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復帰にあたって、エフゲニー・プルシェンコらを育てたロシアの名コーチ、アレクセイ・ミーシンのもとで練習するために、拠点をロシアに移したそうですね。

ロシアでは、フルタイムで練習しているわけではありません。カナダ、イタリア、ロシアのそれぞれで練習しています。カナダではローリー・ニコルと練習しています。

今季のショート『雷神』、『モントルーのボンゾ』、フリー『ニシ・ドミヌス(主が家を建てられるのでなければ)』共にローリー・ニコルの振付です。長年プログラムの振付を頼んでいますが、復帰にあたっては、彼女からどんな言葉がありましたか。

ローリーは、「どんなことでも、あなたをサポートするわ」と言ってくれました。

ローリー・ニコルは、特別な存在なのですね。

ローリーは、私のメンターなんです。スケーターとして、人として私に寄せてくれている信頼、そして彼女の仕事や知識のすべてを信じていますし、感謝しています。その時々で、私が前に進むスイッチを押してくれる人です。

長年のコーチだったミヒャエル・フースとも仕事をしているんですか。

はい。ミヒャエルも私のチームの一員です。練習全体のプログラミングの大半を決めてくれたのは彼です。アレクセイには、おもにテクニック面を見てもらっています。アレクセイが私を助けてくれることに同意してくれたことをとても光栄に思っています。小さい子どもの頃に夢見ていた目標が叶いました。それは結果以上のもので、もっとずっと光栄なことです。今、私は最高の先生たち、最高の指導者たちと共に日々練習し、そのことを心から楽しんでいるんです。

ロシアに行って、新しく発見したことや驚いたことは?

一番素晴らしく思っていることは、練習グループのメンバーが私を快く受け入れてくれて、良い友人になれたことです。嬉しかったですね。一緒に練習に励んで、週末には一緒にお茶をしたり、美しい町を散策したりしています。サンクト・ペテルブルクはとても美しいんですよ。特に夏は、公園を散歩するにも、文化を楽しむにも、バレエを見にマリインスキー劇場に行くにも最高なんです。ロシアに行くまでは、どうなるかしらと思っていたところもありましたが、行って良かったです。

高い芸術性を兼ね備えたスケーターを目指して
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初めて世界選手権に出場したのは、2003年米国のワシントンD.C.での大会でしたね。

そうですね。長い時間が経ちましたね。2003年はミシェル・クワン(米国)が優勝した大会でした。多くの経験、多くの局面があって、たくさんのことを乗り越えてきたので、私はいろいろな状況に対応していけるようになりました。鼻血が出てしまった世界選手権もあったし、背中をひどく痛めてしまった大会もありました。そういったことがあると、どんなことがあっても、集中力を注いで、自分の強さを出していける自信がつきますよね。結果がどうであれ、最後には良かったと思えることや、それでOKと思えることもある。難しい瞬間を乗り越えられるようにもなります。

今も素晴らしいスケーターですが、さらにこの先はどんなスケーターを目指しているのですか。

高い芸術性を持ち合わせたスケーターになりたいと思っています。大学では美術史を学び、クラシック・バレエも熱心にやり始めたので、それらをテクニックと組み合わせていきたいんです。アレクセイにコーチを頼んだのは、それが理由でもあります。テクニックをもっと強化しておきたかったので。おかげでジャンプのことを心配せずに、振り付けの隅々にまで気を配ることができています。昨年の夏からジャンプはだいぶ改善されましたが、まだまだ改善の余地はあります。自分がまだ成長できるということを、もし2年前に誰かが教えてくれたとしても、きっと信じられなかっただろうなと思います。それが、今現実になりました。本当にとても感謝しています。

平昌で4度目の五輪出場「滑るのも、踊るのも楽しみ」
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来年の平昌は4度目の五輪になりますね。コストナー選手にとって、五輪は、どんな大会ですか。

五輪は、現存するもっとも誇り高い、一流のスポーツの祭典です。世界中のあらゆる場所から、さまざまな競技のアスリートが一堂に会し、新たに友だちになったり、旅をしたり、新たな景色に出会える。すべてを含めて、素晴らしい経験ができる。これらは大きな栄誉です。すべてのアスリートにとって、五輪チームに入ることは、大きな夢だと思います。

2006年トリノ、2010年バンクーバー、2014年ソチと五輪は3大会に出場しました。ソチでは銅メダルを獲得しています。

私にとっては、すべての試合にそれぞれの物語があります。その瞬間には、「ああ、もう3大会も出たし、私も30歳だわ」なんてことは考えもしないだろうと思います。今は、この一瞬のことだけです。フィギュアスケートへの愛を、スケートを見てくださるすべての人々と共有できるように、すべてのエネルギーと思いをその瞬間に注ぎたいと思っています。

平昌五輪が待ち遠しいですね。

滑るのも、踊るのも、とても楽しみにしています。

2017年4月、世界選手権にて取材

カロリーナ・コストナー選手の
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