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インタビュー

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インタビュー/文・折山 淑美

まだ伸び代があると感じた、日本歴代2位の20秒13

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 今年は3月14日の記録会を皮切りに、同月のテキサスリレーや5月の世界リレー日本代表チームの遠征を含め、7月のヨーロッパ遠征まで12大会に出場している藤光謙司。4月の出雲陸上の300mでは2年連続のアジア記録樹立を果たし、その後も100mと200mで複数回自己ベストを更新と、好調を維持し続けている。

 その中でも特筆すべきなのは、7月14日にスイスのルツェルンで出した200mの20秒13だ。これは5月の東日本実業団で高瀬慧が出した日本歴代2位の記録を0秒01上回るもの。世界ランキング19位で、世界選手権参加選手のみのシーズンベストでは、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)とともに13位にランクされている。

「正直、ルツェルンは日本選手権の時ほど調子が良くなく、ソコソコ走れるだろうという感じでした。でも、選手みんなでスタート地点へ向かっている時、メンバーには19秒台もいて格上ばかりだけど、『準決勝を意識できる選手が集まっているな』と思い、ふと『この中で勝たないと決勝へは行けないんだな』とスイッチが入って。そこから気持ちが高ぶり、それが走りに乗り移ったように思います」

 400mでも後半型の強い有力選手がいたため、前半勝負と考えた。だがスターティングブロックがズレてしまい、一歩目でよろめいた。それでもトップと並んで直線に入り、180mまでは自分が思っていたようなレースができたという。

「スタートでは『やっちゃったな』というのはあったけど、『追うしかない』と開き直って走れたのが良かったかもしれないです。もしうまく出ていい加速ができていたら、日本記録(20秒03)くらいまで出ていたかもしれないけど、それは正直わからないですよね。完璧なレースじゃなくて、まだ伸び代を残した状態で終われたので逆に楽しみが残ったかなと思うし、目の前にいた2位の選手が20秒03だったので『あれが日本記録か』という感覚も得られました。もうちょい頑張ればいけたという気もしたし、『あれが自分と世界の今の差か』とも思えました」

分岐点はヘルニアの発症

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 今まで準備を積み上げてきたことが、ようやく噛み合ったと明るい表情の藤光。高校2年の時に世界ユース代表になったが、大学時代は故障も多かった。大学3年だった2007年にはアジア選手権200mで優勝したが、末續慎吾や朝原宣治、高平慎士、塚原直貴などがいて注目されることはなかった。

「大学1年から見てくれている安井年文コーチは、最初から息の長い選手にとプランニングしてくれたみたいですけど、自分がそれを意識できるようになったのは3年くらいから。自分にはその方向が良いとわかり、社会人になってからはあまり体を酷使しない方向で練習をしていました」

 日本選手権で3位になった2009年には、200mで世界選手権に出場して準決勝まで進み、4×100mリレーでもアンカーを走り4位になった。そして2010年には日本選手権を自己ベストの20秒38で制し、大陸別対抗のコンチネンタル杯にアジア代表として出場。アジア大会でも2位になった。だが2011年と2012年は低迷し、世界選手権からもロンドン五輪からも遠ざかった。

「そんな中でキッカケになったのが、2013年の3月にヘルニアになったことです。半年休むか、あとは様子を見ながらやるしかないと言われたけど、シーズン直前で休む決断ができなかったので、状態を見ながらやることにしました。それ以降腰に負担がかからない走りを考えるようになったんです。それまでの僕は足を後ろに流して上体が反る走りになっていましたが、足の軌道を一段前にして捌くようにし、胸を張らないで上体を立てるようにしたところ、それが徐々にハマるようになっていったんです」

日本選手権では高瀬と同着の3位になり、リレーメンバーに選ばれた世界選手権では100mの山縣亮太の故障があって2走で出場、6位入賞に貢献した。だが昨年は4×100mリレーではなく4×400mリレーとして代表に選ばれ、世界リレーは補欠で組んだ4×200mリレーを走り、アジア大会はまた4×400mリレーを走った。

「確かに便利使いされているという気持ちも多少ありましたけど、どちらかで使ってもらえるような記録を出していないというのも正直あった・・・・・・。記録も気持ちも、どっちつかずの状態だったと思います」

 上の世代はいなくなったが、桐生祥秀や飯塚翔太など下の世代が頭角を現わしていた。そんな中でモヤモヤする気持ちもあったというが、代表入りすることで自分を納得させていた。それでも我慢できたのは「体も気持ちも酷使していない自分はまだ伸び続けられる」という自信があったからだ。

心の中に定まった、戦うための気持ち

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「ヘルニアの影響もあり、去年は冬期にウエイトトレーニングをできないままシーズンを迎えました。それでも思ったよりまとまったので、『こういうやり方もあるんだな』と思いました。でもアジア大会は腰の痛みがピークになり、痛み止めを飲んで走る状態だったんです。『ヘルニアが悪化してるんだな』と心配したけど、帰国してMRIを撮ってみたら治ってきていて。ただ以前と同じことをすればまた悪くなると思い、重量を抑えて片足ずつ負荷をかけたり、走りに活きる補強の延長のようなウエイトトレーニングを毎日やったりするようにしたんです。そういう部分で体は結構しっかりできてきて、そこに年々精度が上がっていた走りの技術がマッチングしたのが今年でした。ようやく思い通りのパフォーマンスを発揮できるようになりましたね」

 これまでの日本選手権は、「何とか代表には入れるだろう」という自信はあったが、ギリギリで間に合わせる状態が続いていた。そのため夏の大会へ向けて一度気持ちが途切れ、また作り直すという状況だった。だが今年は最初から調子が良かったものの疲労があると感じていた5月のゴールデングランプリでは、4月に20秒14を出していたカルビン・ヌカタナ(ケニア)を寄せつけることなく、20秒33の自己ベストで優勝。その余裕もあって「絶対に大丈夫。ここは通過点だ」という気持ちで臨めたことが、7月のヨーロッパ遠征の好成績にもつながったのではないかと言う。そんな充実した状態の上に、20秒13を出したことで、ようやく「勝負できる」という気持ちで世界選手権に臨めると藤光。

「北京五輪以降のデータを見ると、準決勝で20秒2~3を出せば決勝に行けることになるんです。そのくらいは十分出せると思う。ただルツェルンでは20秒13で4番だったんです。ボルトやガトリンが出ていない中でその結果ということは、決勝進出はそんなに容易くはないとも思いますね。来年のリオデジャネイロ五輪のためにも決勝は経験しておきたいけど、本当にベストを出すつもりでいかなければ残れないだろうと。それに、僕も高瀬も勝負できる記録を持って出るのだから、日本の若い選手に『やっぱりダメなんだな』と思わせたくありません。決勝に行ける行けないは関係なく、準決勝で自分の力をしっかり出して戦ってこなくてはいけないと思います」

 29歳の藤光は、やっと巡ってきた勝負の時へ向けて、決意を固めている。