
復興を果たした精機光学は、1946年(昭和21年)10月、一眼式連動距離計塔載の「S II型」を発売。1949年(昭和24年)4月には、3段変倍一眼式連動距離計を備えた「II B型」を発売した。この2機種において、精機光学は戦後の確かな基盤を築いたのである。
1947年(昭和22年)9月15日、キヤノンカメラ株式会社に社名変更。カメラ好きな進駐軍の将兵たちの「カメラはキヤノン、レンズはセレナー、メーカーは精機光学というのは覚えにくい」という声に応えたもので、以後カメラ、レンズ、メーカーともにキヤノンに統一。世界を視野に入れたカメラメーカーの誕生である。
社名変更から3年後の1950年(昭和25年)8月。御手洗は国際見本市・カメラ市場の視察と販売網の拡大を狙って渡米したが、提携を求めたベル・アンド・ハウエル社には拒絶されてしまう。カメラの性能は素晴らしくとも、結局はメイド・イン・ジャパンであること、そして、工場が火災に弱い木造建てであることがその理由だった。
御手洗は、さっそく新工場の設立を決意。大田区下丸子にあった旧富士航空計器株式会社の工場を購入し、不燃性で近代設備を整え新工場が誕生した。1951年(昭和26年)6月のことである。
1951年(昭和26年)、名作レンズと呼ばれる「セレナー50mm F1.8」が登場。このレンズを生んだ技術者、伊藤宏発案の光学理論は、以後のキヤノンレンズへと脈々と受け継がれていく。
1950年代前半は、国内初の1/1000秒シャッター塔載の「III型」、コードレスでフラッシュが使えるレール直結式フラッシュ装置付き「IV型」など、新製品ラッシュであった。中でも1954年(昭和29年)3月発売の「IV Sb改型」は、2段重ね構造のスローガバナーによって1/15秒シャッターを実現。シャッタースピードが近似値的倍数系列となり、ライカにも劣らぬ名機として高い評価を受けた。